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軽井沢、一握の塵 [マイハーベスト]

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クリスマスツリーを午前3時までかかって撤去し(飲みながらの一人作業なので果てしない)、近所の工務店から毎年頂く突きたての餅シートを私が縦に、夫が横に(帝王切開は横に、がワザである)切り捌き、クリスマスパーティが終わった途端に山を切り崩すように押し寄せてくる年末の慌ただしさをようやく脱して軽井沢へ来る。
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大晦日まで当直の夫を残しての先発隊、一人と二匹である。
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(到着するなり、テレビ前のオットマンに当然のように陣取るお二方)



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前夜は再度雪という情報に、11月の災害派遣の失態を思い出して震え上がり、現地の知人にナビゲートしてもらいながらの碓氷峠越えであったが、意外にすんなり到着である。

山荘はごく弱く床暖房を入れて帰ったおかげで、日中でも氷点下という外気が忍び込むこと無く、ほんわりと温かで快適。
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夏前に施した防音室工事は、音だけでなく寒さを遮断する効果も抜群である。

余談だが、ヨーロッパではよく見かけるこのタオルウォーマー、本当に優秀。
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タオルとバスマットがふんわりと幸せいっぱいに暖まるだけでなく、寒いはずのバスルームの脱衣スペースがほんのり暖房される。
日本であまり普及しないのはなぜなんだろうと思う。



到着した夜はいつものように馴染みの鮨屋へ、森の闇のきんと冷えた空気を切り開いて歩いていく。
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格別のネタと熱燗でようやく今年最後の休みに入った実感が湧き、涙が出そうに安堵する。
まだ渦中の夫には返す返すも申し訳ない。



一ヶ月前のドカ雪騒ぎがウソのように、年末の軽井沢は晴天が続く。
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買い物がてら旧軽銀座へプラプラ歩いていくが、路面を見る隙もないような夏の大混雑が想像出来ない長閑さである。
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この時期開けている店はごく僅か、山荘近くのレストランのモルドワインとカレースープで暖まる。
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なんのためにこの寒い時期に軽井沢で年越しかというと、ビザ取得のためパスポートを召し上げられて海外へ行けないのと、思い切りドラムを練習したいからである。
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しかしあんなに練習出来なくてじりじりしていたのに、目の前にドラムがあるという安心感だけで結局ソファに沈んで本を読んだり、映画を観たりしてしまう。
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読みかけのイーヴリン・ウォーは期待通り、諷刺の効いたロマンと冒険という独特のクッションの中に読者を誘い込むのだ。


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「一握の塵」(イーヴリン・ウォー/奥山康治訳/彩流社)


翻訳物を読む時に、原文の風合いがどこまで反映されているのだろうかということはいつも気になる。
本著は非常に読み易い邦訳で、ストーリーを楽しむには十分。
しかしそこで英米読者ファンのツボである皮肉なニュアンスを持った文章であるかどうかまでは分からないというのが正直な感想だ。

文化として文学が音楽や絵画の持つ公汎性に欠けるのは、言葉の壁がなかなか越えられないからだ。
ノーベル文学賞選考が毎年物議を醸すのも、そこが公平性に影響するからではないかと思う。
架け橋である翻訳物はそのインドア的な部分をこじ開けて、訳者のセンスというひと味も楽しみつつ、中身(=文章のニュアンス)をつかみ出すような感覚で読んでいく。

全世界共通の感情になりにくい分、文学には自国民が満足する風俗思潮が顕著に現れる。
これがフランスだろ!これがアメリカだろ!という文学に時折出会うが、イギリスならそれはこのウォーだと思う。
(まあ、シェイクスピアを持ち出されるとひとたまりも無いのだが)

本著のスタートはウォーお得意の英国貴族のデカダンスに彩られたスノッブ社会。

ロンドンから少し離れた、いわば埼玉あたりのヴィクトリアンゴシックの館に住むトニィ・ラーストは、美しい妻が「勉強のため」と称してロンドンにフラットを借りている本当の意味が分かっていない。
館の運営に四苦八苦しながらも、妻の我が儘には寛大な懐をさらけ出す。

何だかどこか似たような家を知っていると、ふと思う。

一人息子の事故死をきっかけに妻の不貞を知ることとなったトニィは、この期に及んで離婚訴訟が妻に有利になるように芝居までするお人好しである。

しかし、その彼が英国貴族という名を背負った途端、アビー存続のために離婚を拒否していきなり南米へ渡り、舞台が反転する。
この突然な渡航話は前述した「スクープ」と同じだ。

英国上流社会の馬鹿馬鹿しいまでのおすましに付き合って楽しんでいた読者は、一気にサバイバルなジャングル生活のお供をすることになる。
そこで九死に一生を得たかのように思われたトニィに、予想もしない結末が訪れる。
1930年代の南米ギアナとロンドンを同時中継するような描き方がジャーナリスト出身という彼の出自を思わせる。

一部屋一部屋にトマス・マロリィの「アーサー王の死」の登場人物の名前のついた(本著はこの古典文学の現代版パロディだという評もある)英国ゴシック建築のアビーや、会員かどうかでソサエティのランクが決まるという正装の紳士だけが集うロンドンのクラブ。
典型的な英国趣味の最中に自身も身を置きながら、ウォーはその滑稽さを第三者の目で冷静に描き出す。

誰も悪い人はいない。

何度も繰り返されるフレーズのとおり、決定的な悪人はどこにもいない。
絶望的な結末はどこかペーソスに満ちている。
(アメリカ雑誌掲載時の平和な結末も最後に付記されているが、これでは趣向が台無し)

体裁を気にしつつその滑稽さに気付かず、それでも与えられた人生での役目を大真面目に果たそうとする人びとを生き生きと描く彼の筆は、どの作品においても全く遜色が無い。

折しも2016年、ウォー没後50周年だそうだ。

原文で読めたらどんなに面白いだろうと思う。




大晦日である。

二月に父が亡くなり、還暦を迎え、私は人生の舵を大きく西へとることにした。

この歳で、まさに言葉の壁を乗り越えて新しい社会に飛び込むことに不安が無いといえば嘘になる。
そこで得るものに大いなる期待を寄せなければ心が折れる。

生まれて初めて一人で生活すること、英文学を原文で読めること、奇しくも来年EU離脱という進路に踏み出す憧れた英社会がどんなものか見届けること。
本著はもう一度、その目標を喚起してくれた。

人生で出会う本は、必ずそれが必要な時に自分のもとへやって来る。

その思いを強くした。



ようやく年内の仕事を終えた夫が、軽井沢駅に到着する。

2016年もパチュリをお読みいただき、本当にありがとうございました。

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