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軽井沢、武満徹・音楽創造への旅 [マイハーベスト]

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信州軽井沢の晩秋。

観光客が去り、木々の葉が落ちて、別荘地はからんとした静けさがただ横たわっている。
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この季節が好きだ。

気温差でできる曇りガラスの向こうの曖昧な世界は、何故か郷愁をかき立てる。
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自宅では留守番役の多い犬達も、ここではべったり。
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No Wine, No Life
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旧軽銀座の店もほぼ仕舞ったこの季節、ぬくぬくと暖まった部屋でワイン片手にひたすら本を読むのは極上の幸せである。
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「ノヴェンバー・ステップス」を聴く。

この名曲が生み出された軽井沢で、ほぼ1ヶ月読破に取り組んできたこの大評論を読み上げることが出来るのも、何かの引き合わせのような気がして感慨深い。

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「武満徹・音楽創造への旅」(立花隆/文藝春秋)

単行本二段組み780ページは、'96年に没した現代音楽の巨星武満徹の人間と業績、そしてクラシック音楽で育った人間が近寄り難い現代音楽の概論を語るには、どうしても必要なボリュームであったろう。

武満の人生は、日本現代音楽のポールポジションそのものだ。
彼が牽引してきた現代音楽とその逡巡は、私のように全く現代音楽に触れてこなかった素人をも感動させる厚みがある。

ピアノ以外の楽器を知らず、1オクターブを7つの白鍵と5つの黒鍵で分割した振動比による音階と平均律でしか音楽を考えてこなかった私には、この厚みの中に織り込まれる武満の人生を透過させた現代音楽の流れとセオリーは、天地がひっくり返るような驚きであり、就寝前のベッドの中で読み進めるその時間が待ち遠しくてたまらないような新天地であった。



クラシックで育った人間が現代音楽にアレルギーを起こし易いのは、ひとえにその破壊性にある。

クラシック音楽は常に「調性」(Tonality ハ長調等に代表される調和を軸とした音階)を意識して作曲されているので、逆に言えば楽曲は調性にがんじがらめになっているとも言える。
簡単に言えば、現代音楽はその縛りから作曲を解放(=破壊)しようというところが出発点だから、調性に飼いならされた私などは、まずは現代音楽の無調性(Atonality)を”心地良くない”と感じてしまう。

多岐にわたる武満の取り組みの中でまず一番目を引くのは、この調性と無調性の取り合い、バランスとの闘いである。

現代音楽は、まず調性に司られるクラシックの十二平均律を破壊する十二音音階(十二平均律のオクターブ内の12の音を均等に使用して、調の束縛から離れようとする作曲技法)による無調性への移行という形で全世界が進んでいく。

ミュージック・コンクレート(電気的、機械的に変質させて作った音を組み合わせる作曲法)やセリー技法(音楽における全ての要素を数式化して計算によって自動的に作品を生成させる技法)など極端に人間性を排除した技法を経て、「便宜的な小節構造の上に成り立つ形式は虚しい」と感じた武満は、ジョージ・ラッセルが提唱した「リディア概念」(古典的な調性音楽は否定するが、音楽には根源的な調性の中心が必要だとする考え。汎調性=Pantonality)に出会い、共鳴し、その理論のもとに熟成期のいくつかの作曲をする。

どんなに調性を破壊しようとしても、その音楽を聴くのが人間である限り、聴覚が自然に補って聞かせてしまう主観倍音(完全な協和音程の五度の音程がそうだと言われている)があり、調性以前のフィジカルな音感の問題がそこにある。
先に上げた代表作「ノヴェンバー・ステップス」は、調性の面から言えば、この汎調性主義の彼の集大成だと言われている。

この本から私が知った武満の業績は枚挙に暇がない。
それを一つ一つ書き記したいが「ここに記すには余白が狭すぎる」

武満は壮絶な試行錯誤を経て、日本音楽と西洋音楽との位置関係においては、結びつけるのではなく「対比させる」という地点に到達し、テンポの面では「時間の重層化」(それぞれのパートの一拍の長さが同一ではない)を試み、記譜法の面では図形楽譜を用いて曲の不確定性を導入している。
そういったさまざまなチャレンジを繰り返すことで、武満は音楽がいかに自由で多様性があるものかを我々に教えてくれるのだが、結核を病み、遂には癌に屈した生涯を通して、彼の音楽観には常に死の存在が横たわるという。

芸大はおろかさしたる音楽教育も受けず、ピアノすら弾けずに作曲の道に入ったという真っ白な下地によって従来の固定概念や先入観に囚われずに音楽を眺望できたことは想像に難くないが、それ以上に類い稀な感性で真摯に新しい世界へ取り組んで積み上げられていく彼のセオリーが、単なる自己満足に終始するようなアバンギャルドではなく、宗教、政治倫理、風土や民族性までを俯瞰し、常に聞く人の耳を意識して人間の内面にぶれずに向かっていることに感動する。

著者が武満自身と彼と交わった錚々たるアーティストに5年半の歳月をかけて行った取材の結集たる本著を読み進めると、音楽とは聞く者にとっては多分にエモーショナルな芸術として受け止められるが、それを作る側には緻密な数学的論理、音楽を精神的に分解していく哲学的思考が要求されることに気付く。

広くは現代音楽から派生して、日本文化そのものへの理解と影響を深めた武満に、知の巨人たる著者がいかに傾倒したか。

武満の没後、長らくこの本の出版に至らなかった理由も、そこに見て取れる気がする。





枯れ葉を踏む十一月の足音が密やかに山荘の小径を通り過ぎていく。

現代音楽概論の講義にも匹敵する内容に圧倒され、辞書を引き引き読み進める作業を終えて、明日は武満の別荘があった御代田あたりをドライブしてみようと思う。

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